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2019.6.11

びっくりするくらい

英語がしゃべれなかった!

しゃべれないけど

しゃべる

けど

そんなに

がんばりも

しない


ふと

思ったのは

私は外国語力

だけじゃなく

語力じたい

退化していってる

気がしてて

(数値的に減ってるという

意味の退化)


うちにくる

日本語をしゃべる

日本人にでも

そういえば

こどもとばかりいて

大人としゃべるのは

そんなに多くないな

思った


ただひとつ

悔やまれるのは

いつも

こどもの動きや

こどもの発する言葉を拾い集めて

一緒にいる時間を

楽しめるのだけど

彼女の話す英語が流暢で

わたしには聞き取れず

わかってあげられない

わかってもらえないもどかしさがあって


それは相当な悔しさで

すごいかわいくて

一緒に遊びたいけど

ちょっと遊びきれない

という

もどかしさ


私は思ってる以上に

目も耳も口も

全部使って

こどもたちと接してるんだな

と思った


短い文章で

英語を書くようにしたり

ナショナルジオグラフィックの

英語を読んだりしてるから

ふわっと言葉が出てくるもんかと

思ってたけど

カモノハシの剥製を、さわった

とか、

(剥製)とか(タヌキ)は英語ですぐでるけど

想像以上に普段使う言葉も

単語も出てこなくて

びっくりした


そもそもの

喋りたい、の欲求が

もっともっと

強くなきゃできないなぁ。と

初めて体感!


今まで英語な人たちといて、

しゃべれなかったり、

無理くりしゃべったりしてきて

特にできないとか

困ったりとか

感じなかったし、

もっと勉強すれば、と

思ってたけど


しゃべることの欲求が

随分

小さくなってきてしまって

全然がんばってない自分と

がんばらないからいよいよ出てこない言葉に

びっくりと

納得。


欲求が

そもそも大切なんだなー、と

気づいたというか

体感したのでありました


幸せそうに笑ってるのを見れば

幸せだし


日本語でも外国語でも

伝わらないこともある

伝わることもある


伝わるため

には

自分の欲求が

もっともっと

なきゃならなくて


私が

伝えたい

という欲求は

いつのまにか


目の前にいる誰にでも


ではなくて


生きていく中で

出会える

数人の


もしかしたら

お互いの生きる糧になる

あのこや

あのこに


フォーカスしているのかも

しれない